2008年7月30日 星期三

「咬みつきたい」/映画


 
1991.06.01上映的吸血鬼電影「咬みつきたい
 
 現在我依然記得,第一眼看到人偶時的強烈暈眩感。這是可淡為電影「咬みつきたい」所做的人形,事實上,也非常有可能是她最後的作品。

 這個主題在可淡的作品中,確實讓我留下頗深刻的印象,要說理由的話,大概是不太像可淡會選擇的"題材"吧。如大家所見,這是可淡接受委託而製作的人形。
 

 
 上面是可淡所繪製的草圖之一,替一件作品畫了多張形象素描,讓我感覺到可淡對此件人偶的慎重。至於人物的外形,我想多少參考了主演男女主角在電影中的模樣。"Yaso夜想" 雜誌的吸血鬼特集中便有替映画做了個單元,受訪者則是生前和可淡十分熟稔的吉田 良先生。
 
 比較特別的是雜誌刊登了數張作品集中未刊載的照片,頗有收藏價值。
 
 
※可淡的人偶出現在電影開場的部分
 

2008年7月29日 星期二

浮世絵名品展/図録



ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵初公開浮世絵名品展
 
 當初去日本時參觀展覽所買的圖錄之一,約A5大小,相當厚一冊。收錄的就是ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵的浮世繪,而在日本展覽的美術館則是位在原宿表參道上的太田美術館,不大間,可是裡面很小巧精緻。看網站中的資訊,這本似乎是已經完賣了。
 
 
 

2008年7月28日 星期一

秋山まほこ/人形師

秋山まほこ


 
 身為可淡親近的友人之一 -秋山まほこ, 一直是個非常迷樣的人物。甚至「球体関節人形展」的官網上也沒有露面。倒是DOLL FORUM JAPAN裡有張很小的寫真,可以稍微看出秋山的外觀…和我想像的頗有差距就是(笑)。依有時即使和可淡同時展出作品,秋山的名字也會排在前面來看…我推測秋山或許比可淡稍年長,在製作DOLL資歷上可能也較早些(通常會以後者來排序)。官網中有少許秋山對可淡的回憶和感想,可以看看。
 
 
 

2008年7月27日 星期日

NEWSリアルタイム/TV.放映

日本テレビ放送
『NEWSリアルタイム』  
8/5(火) 18:15左右開始~


 『NEWSリアルタイム』是日本電視台每天下午五點至七點的新聞節目,節目將在8/5(二)撥放五個特集,其中一個是片岡佐吉收藏的人形,還有七、八月在馬莉亞的心臟的片岡佐吉三十週年紀念展覽,和天野可淡・三浦悦子・恋月姫等現代人形的介紹。
 
線上配信:至9/12晚上9時(日本時間)
 
NEWS リアルタイム ■□REALTIME

2008年7月26日 星期六

富崎NORI/イラストレーター

富崎NORI
 


 
 以人形作為主題的CG插畫家。發行作品集「幻の箱で創られた少女」,和多數的書本插畫,作品風格偏向哥德蘿莉少女和恐怖童話,公式網站有放上部分作品展示。
 
 
 

Site of TOMIZAKI NORI

2008年7月19日 星期六

ほんとにあった怖い話/雑誌.情報

ほんとにあった怖い話
 

 

發行:2007 年 11 月 号
出版社:朝日新聞社
價格:¥ 390  
 

 這本雜誌一直以來都是用人形當作封面,不過並非直接使用,而是會加上一些CG加工等,而CG作者則是氷住 羊,以網站中最早的作品存獻(1999年)來看,雜誌歷史頗長,是雙月刊制。內容不外乎恐怖漫畫、藝人和讀者的恐怖經驗談等,其實這本雜誌的封面要算黑歷史,還在 fan 之中引起一點反彈聲浪,不過基本上這是配合復刊的發行所作的宣傳,良 和 秋山 的作品也都上過這雜誌的封面…
 
 原本的CG作品沒有那麼雜亂,可以到網站中繪者網站中查看。
 
 
 
註:不確定內頁是否有介紹,推測是比較公式性質的宣傳簡介

2008年7月18日 星期五

親愛なる 天野可淡さんへ/秋山まほこ

親愛なる 天野可淡さんへ
給親愛的可淡
 
秋山まほこ[人形作家]
  
 
 私が心から信頼し、尊敬していた人形作家、天野可淡さんが、突然の交通事故で亡くなられてから、もう17年経ちました。
  

 自我打從心底信賴、尊敬的人形作家-天野可淡,因突然的交通事故逝去之後,也已經過了17年了。
  

 否応無しの、別れの悲しみのさなか、私自身も、火の不始末から起こしてしまった火事で、二度と戻らない大切なものを全て失ってしまいました。その後、人形の活動を休止し、夫の仕事に伴って、東洋と西洋が不思議に混ざり合う異国の地、香港で人形制作とは無縁の歳月を送りました。思っても見なかったことが次々に起こり、そのひとつひとつと向き合いながら、ようやくその山をのり越えて今に至っています。
 

 而在承受突然離別所帶來的傷痛之餘,我也曾因為自己不小心而引起的火災,失去了全是無法替代,且非常寶貝的東西。在那之後,我停止了人偶製作、陪伴丈夫的工作,來到了混合東洋與西洋風味、不可思議的異國之地-香港,並在那裡過了一段與人偶製作無緣的歲月。想也沒想過,見也沒見過的事情一一發生,在面對這些的過程中,我終於慢慢走出了傷痛。 
 
 あのとき中学生と小学生だった、可淡さんの二人の娘さん、鈴美さんと麻衣さんも、成人された立派に独立し、お会いするたびに可淡さんの面影がどこかに感じられ、可淡さんと過ごした7年間の思い出が、心の中にまるで昨日のことのように蘇ります。
  

 可淡的兩個小女兒,當時還是初中生和小學生的鈴美和麻衣-現在已經是一表堂堂的大人了,非常的獨立,見面時總好像在哪裡感覺到可淡的影子,而和可淡一起共度七年間的回憶,也在心中好似昨日發生的事般,慢慢的湧現出來。
  

 私が可淡さんに初めて出会ったのは、可淡さんが、渋谷 RARCO.VIEWで個展を開いていた1983年のある冬の日のことでした。可淡さんは、少年のようなほっそりした体で、飾られている人形たちを見守るように、静かに文庫本を読んでいました。
  

 我第一次見到可淡,是她在渋谷 RARCO.VIEW 開個展的時候,那是個1983年冬的某一天。像少年一樣纖瘦的身形,可淡好像守護著那些裝飾著的人偶一樣,安靜的讀著文庫本。
  

 カタンドールは、悲しみをたたえた、吸い込まれるような瞳、その奥に秘められた果てしない闇と神の一筋の光、迫り来る緊迫感、何かを必死で求めている真っ直ぐな眼差し、私の心の中に語りかけ問いかける、心の存在する人形たち。
 

 可淡的人偶有著蘊含了深沉悲傷的深邃眼眸,眼神中更蘊含著無底的黑暗,以及黑暗中射下的一道莊嚴神聖的光芒,醞釀出一種直逼人心深處的緊迫感,而她們就是以這種拚命冀求某種事物的眼神正視著我,跟我的心說話,丟出問題讓我思索,她們就是這麼樣一群有著人心的人偶。
 
 私のそれまでの人形観とはまるで違う、そんな人形を産み出した作者が、その時、気さくに優しげに私に話しかけてくれました。この時の出会いが無かったら、私の人形制作に対する姿勢も今とは違うものになっていたでしょう。人形への慈愛も表せなかったかも知れません。
  

 這和我一直以來的人偶觀全然不同,創造出那樣的人偶的作者,那時,非常親切的過來和我說話。若沒有那次的相會,我對製作人偶的態度也會變的和現在不同吧。對人偶的慈愛無法表現出來也說不定。
  

 その後、可淡さんには、とても親しくして頂いて、昭島にあるアトリエにお邪魔したり、吉田良さん、可淡ちゃん、幼かったおおちゃん(あの頃の呼び方のままで…)、まいちゃん達と川へキャンプに行ったり、プライベートな楽しいお付き合いをさせて頂きました。
 

 在那之後,變得和可淡十分要好,時常到位在昭島的工作室打擾,還有和吉田良先生、可淡、還很小的小岡(那時候的叫法)、麻衣等人一起到河堤邊露營的愉快時光。
 

 とりわけ思い出深いのは、お互いの人形を取り替えたことです。私の人形は「看護婦さん」、可淡さんの人形は「おきんちゃん」といいました。おきんちゃんは、今は天国で、可淡さんと一緒にいます。赤い着物を着て、金色の美しい瞳の、大変可愛らしい女の子でした。
 

 至於印象最深的回憶,則是兩人互相交換人偶的事。我的叫做「護士小姐」,可淡的則是「小金」。小金現在在天國陪著可淡。是個穿著紅色的和服,有著美麗的金色瞳孔,非常可愛的女孩子。
 

 可淡さんがトレブィルから『KATAN DOLL』を出版した頃、私の『Ange』も出版されました。これは可淡さんの縁で実現したものです。そして再び、2004年、エディシオン.トレブィルから私の2冊目の作品集『ある瑠璃色の夜、金魚楼に かれし乙女たちは』を出版して頂きました。一方、とても親しかった可淡さんの作品集が、絶版になったまま静かに眠り続けていることを思うと、大変残念でなりませんでした。ひたすら可淡さんの本が、復刻されることを祈る日々が続いていました。
  

 可淡在トレブィル出版『KATAN DOLL』的時候,正巧我的『Ange』也出版了。這是實現了和可淡的緣分。再來是2004年,我在エディシオン.トレブィル的第二本作品集『ある瑠璃色の夜、金魚楼に かれし乙女たちは』也出版了。然而另一邊,想到和我很要好的可淡的作品集只能安靜的沉睡著就此絕版,實在感到非常的遺憾。而我只能日日夜夜、一心地祈求著可淡的作品再次復刊。
 

 そしてついに、20年近い歳月を経て、あの作品集たちが装いも新たに復活し、数々の名作を生み出した人形作家天野可淡が私たちの前に蘇ったのです。自分の作品集の出版にも増してこの喜びを私は抑えることが出来ません。
 

 接著,在經過了將近20年的歲月後,這些作品集終於重新裝訂復活,孕育出無數名作的人形作家天野可淡在我們的眼前甦醒。這份令我無法壓抑的喜悅,比自己的作品集出版還讓我雀躍。
 
 この新しい作品集は、これから更に多くの人々の心の中に深く浸透し、愛されていくことでしょう。
 

 這本新版作品集,今後必定會滲透到更多人的心中,並被愛著的吧。


 天野可淡さん、そしてカタンドールよ、永遠に!

 願天野可淡以及可淡人偶永垂不朽!



   
※編集部註:『KATANDOLL fantasm』所収。(p15、17、73の人形)
 

 
 
本篇訪談出自2007年12月24日再版的『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』

2008年7月14日 星期一

可淡直筆&良祭文原稿


 
可淡少數的親筆簽名本/左為 可淡追悼展中 良 的祭文原稿
 
 這是在日雅拍中無意間搜到的東西。雖然不太清楚在復刊之前雅拍上販賣的古本多不多,不過畢竟是絕版書、原本的發行量又少,所以有的話價錢可能也不便宜…至於雅拍上因為復刊的關係,不少人將舊版拿出來拍(價錢自然是沒辦法像之前那麼高)。

 
 至於那張薄薄的紙的來源,其實拍賣者也不甚清楚,只知道這應該是「天野可淡遺作展」中、良的祭文原稿,所以也許是展場中的文字展出、或是印在文宣紙類製品上的文章原稿,也可能是良致詞的手稿說不定,而這篇祭文收錄在可淡追掉本『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』 中。
 

  
可淡的字跡/左右分別是兩本作品集的簽名
 
 
 
 

2008年7月10日 星期四

「エーリス」


 
我通常都叫這系列作照片為 "愛莉絲"。
 
 這可能是少數我心中有名字的人形之一。右邊的則通常被稱作 "兔面少年(帶著兔子面具的少年)"。這裝扮和這樣的組合,的確很容易讓人聯想到 Lewis Carroll 的作品、『不思議の国のアリス』,事實上,可淡也確實參加過「不思議の国のアリス展」和多次的「現代童画展」,不過像這樣的印象和感受,還是要由觀者直接從作者那裡接收、親自體會比較好。
 
 作為可淡第一本作品集的代表人偶,果然非常具有讓人不經意拿起書本、翻閱的吸引力。至於兔面少年的真面目,可是貨真價實的美少年。另外,這大概也是少數-可淡讓我感到「煽情」的作品(可淡人偶的素體常具有某種性感,不過這和照片中的人偶組合的氛圍不同)。
 
 
 
圖片收錄於2007年8月30日再版的『KATAN DOLL』

2008年7月9日 星期三

Presley Walker Gerber/鉛筆


 
 Presley Walker /鉛筆
 
 原形是 Presley Walker(辛蒂克勞馥-Cindy Crawford 的小兒子),左邊那張在畫風上受到了可淡的影響。
 
 
 
※ Cindy Crawford 是美國知名女星、模特兒 
 

2008年7月8日 星期二

『囁き』シリーズ/小説

綾辻行人/推理小說家
 

 綾辻行人的小說 "耳語系列" 分別於 1988、1989、和1993年發行,當時發行的出版社是祥伝社,封面也是都由插畫家きたのじゅんこ所繪(綾辻是きたのじゅんこ的插畫迷)。然而到了1997年,由講談社文庫發行的耳語系列封面則改為可淡的人偶寫真照片,據當時讓不少綾辻 fan 吃了一驚。
 
 

 

緋色の囁き /魔女狩獵遊戲
  
発行年月日:1997/11/15
サイズ:A6判
ページ数:476
定価(税込):750円
 

 

暗闇の囁き /人偶王子的魔咒
 
発行年月日:1998/06/15
サイズ:A6判
ページ数:382
定価(税込):650円
 

 

黄昏の囁き /小丑的安魂曲
 
発行年月日:2001/05/15
サイズ:A6判
ページ数:346
定価(税込):620円


※中文版為另繪封面
 
 
綾辻行人データベースAyalist
   

2008年7月5日 星期六

「美の集大成- 紀念展」/Event


(C)人形/恋月姫

  
三十年をかけて蒐集した人形の極致。

片岡佐吉、美の集大成―
 

人形屋佐吉三十周年・マリアの心臓五周年記念展

◆八月のパラドックス◆



※雖然文宣上沒有列出作家群,不過基本上會場上應該是會展出

2008,6,28(sat)~8,31(sun)
13:00-19:00 1,000yen
火曜休館
渋谷区神南1丁目20-9-B1
03-3780-9818
 
 
 

2008年7月4日 星期五

その「鳴き声」…/後記

カタンドールの "声"…後記
 
 第二篇會選綾辻的文章,其實是因為綾辻很確實的用文字表現出可淡 DOLL 給我的感受,讓我有點小感動。
 
 可能沒辦法用文字很好的表達出來,我對大部分人形作家的作品通常是 "靜止的永恆" 這樣的觀感,但可淡 DOLL 是會動的。說『會動』似乎也很奇怪,因為人偶是不會動的,何況可淡的人偶多半給人『死體』這樣強烈的印象,但就像綾辻在文裡所敘述-「她們是死的生命」,所以明明應該是死體的 DOLL 卻好似精力充沛的私語著、喧囂著,也因此、常看到有人用『惡靈』來形容可淡的人偶。
 
 訂閱的書籍『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』入手後,那時還是很冷的冬天,晚上是很安靜的,但每當我在睡前打開它時,一邊看著可淡的 "孩子們"、就能感受到那強烈的喧囂在我耳邊鳴叫著。那不像是一種語言(或許是、可能只是我不懂),更不像是單一個體所發出的聲音,所以我是如此認定-「可淡的人偶是活著的」。
 
 若要說可淡DOLL中,我最有 的印象的作品,那必定是官網的這張了。扭曲的翅膀彷彿剛羽化的生物,發出撕裂黑闇、破繭而出的尖銳聲音。一瞬間我為這樣的 "聲" 和 "生" 深深的震撼住了。
 
 即使這樣的 "聲音" 稱不上什麼美妙,甚至可以用 "雜音" 來形容,但在我拿到實體書之後的那一兩個星期,每晚在睡覺之前,我必定要翻閱它、聽聽這些 "雜音" 在我耳邊迴響著… 

 然後才能好好的入眠。
 
 
 

2008年7月3日 星期四

カタンドールの "声"/綾辻行人

カタンドールの "声"
KATAN DOLL的 "聲音"
 
綾辻行人[作家]
 
 
 「人形」についての豊富な知見や造詣を持っている者ではないので、まずその点をお断わりしておかねばならない。天野可淡という天才人形作家についても、通りいっぺんの知識しか持ち合わせていない。「謎」や「怪奇」「幻想」に囚われた小説の創作を生業としてきた一介の物書きの、カタンドールに対するごく個人的な、偽らざる想いを、ここでは断章風に綴らせていただく。
  
 首先,因為我不是對「人形」擁有豐富見解和知識的人,所以在這一點上要事先說明。關於天野可淡這位天才人形師也是,只敢說對她僅有一小部分的了解。作為以侷束在「謎」和「怪奇」「幻想」這類小說裡,並以此謀生的一介寫書人,在這裡,讓我片斷地寫下對可淡 DOLL 非常個人,不說謊的想法。
 
 
 
 可淡の遺した人形たちと対峙して、いつも感じるのは "声" である。物伝うはずのない「彼ら」-とりわけ「彼女ら」-の、それぞれに独特の開き方・閉じ方をした口から発せられる "声"。
 
 和可淡遺留下的人偶們對峙時,一直感覺得到的是 "聲音" 。本來不可能傳達出訊息的「他們」-特別是「她們」,個別以其嘴巴的開合,發出了 "聲音"。
 
 はっきりと耳に聴き取れるわけではない。が、 "声" は囁きであったり叫びであったり呻きであったり、ときには忍びやかな笑いであったりもする。不思議と泣き声を感じることがない。あるとすれば泣き声ではなくて鳴き声、か。
 
 並不是很清楚的從耳朵聽到。但,"聲音" 是私語著、叫喊著、呻吟著,有時是竊竊地笑著。不可思議的是,卻沒有哭泣的聲音。如果有的話,那不是哭泣聲而是鳴叫吧?
  
 この "声"で、いったい彼女らは何を訴えようとしているのだろう。-と、僕はいつも耳を澄まし、目を凝らす。心に虚ろを作る。そうしながら、うつしよの時間(とき)の流れを忘れて立ち尽くす。
  
 她們究竟想用這樣的 "聲音" 來訴求什麼呢?-而我總是一面想著這問題,一邊豎起耳朵,凝聚目光。放空心靈。然後在這期間,忘卻時間的流動站立許久。
 
 
 人間(ひと)は誰しも、生から死へと移ろいゆく時間の途上に在る。移ろう人間の手によって創り出された人形たちはしかし、移ろわぬものとして(あるいはそうあることを目指して)、光と闇のあわいに在りつづける。
 
 人類都是在那條由生向死,不斷推移的時間帶上存在著。然而,透過時間持續推移的人類雙手所創造出來的人偶們,卻是以全然超脫時間迭替的姿態(或是以此為目標),持續地存在於光與闇之間。

 「まるで生きているかのような」という定番の形容は、ことに可淡が創ったような人形たちについてはまったく相応しくない。彼女らの本来的な属性は "死" の側にある。彼女らは死から生まれ、死を生きている。そういった "死の生" "生なきものの生" にとっては当然。死は終焉ではなく永遠だろう。だからきっと、カタンドールと対峙するという行為は、 "死という永遠" の恐ろしくも甘美な疑似体験なのだ。
 
 「簡直像活著一樣」這樣常見的形容,對可淡創造出的人偶可說是完全不相稱的。原本她們的屬性就是位於 "死亡" 的那一側。他們從死裡出生,在死裡活著。對她們這種 "死的生命" "沒有生命的生命" 來說,本就是理所當然。死亡不是末日,而是永恆。所以跟可淡的人偶對峙的這種行為,想必就像是在模擬體驗 "死亡永恆" 這種既可怖又甜美的境界。
 


 カタンドールを見て、「美しい」と感じることはない。と伝うと語弊があるかもしれないが、つまり「美しい」のひと言だけでは掬い取りきれぬものが、あまりにも彼女らには備わりすぎているのである。
 
 看著可淡的人偶,並不會有「美」這樣的感覺。這樣說或許有些語病,即是她們具備了太多內涵,只用「美」這個字是概括不了的。

 これはしかし、「過剰」とは逆の方向にあるものだ。何かどうしようもない欠落、そして喪失。それらを存在の基調として持ちながらも、では聞こえてくる "声" がそれゆえの哀しみや嘆きなのかというと、決してそうでもない。-そんな気がする。
 
 但這種內涵卻與『過剩』相反。那是一種無可奈何的缺陷與失落。儘管她們是以這樣的內涵作為存在的基調,但我所聽到的那些聲音,卻又絕對不是為了這些缺陷或失落而發出的悲傷與嘆息。我是這麼覺得的。
 
 
 夭逝した天才が生あるものとして、おりおりに抱いた情念や思考、人生のありよう等を、彼女らの "声" から探り出したい、という気持ちにはあまりならない。彼女らを創ったのは確かに天野可淡という人間だったが、彼女らはもはやその事実からも離れて、いや、その事実をも呑み込んでみずからの内で透明化してしまったうえで、彼女らそのものとしてそこに在る。-そんな気もする。
 
 我不太會想從這些-作為早逝的天才創造出的人偶所發出的 "聲音" 中,摸索創作者的感情、想法、和她經歷的人生等。創造出她們的確實是一位叫做天野可淡的人,但她們也已從這個事實中離開,不,她們是將這個事實接納,然後從自身的內部開始同化,而她們本身則存在於這之上。-我也有這種感覺。
 
 もしかしたら彼女らは、この世界の裏側にひそむ、僕たちには絶対にしりようのない秘密を知り、それを僕だけにこそっりと伝えようとしているのかもしれない。-そんなふうに思えてしまうことも、往々にしてある。

 我常常這樣想,如果她們潛伏在這世界的裏面,說不定會偷偷的告訴我,那些對我們來說決對不可能知道的秘密。
 
 可淡の人形たちと対峙して、さまざまな "声" に耳を澄まして、ときにはそこに "言葉" を読み取って...そうして僕はこれまで、いくつかの物語を紡いでみたこともある。しかしながら、それらはどれもが畢竟、彼女らのではなくて僕自身の物語だったのだろう。そんな自覚も、もちろんある。
 
 過去我也曾經跟可淡的人偶對峙,側耳傾聽各式各樣的『聲音』、不時還從其中聽出『話語』,並試著編織成故事。然而,那些畢竟都只是我自身的故事,而不是她們的。像這樣的自覺,當然還是有的。 
 
 見る者によって、その者のそのときどきの心のありようによって、彼女らの "声" に異なる色を待ち "言葉" を持つ-というのが、月並みではあるがやはり一面の真実に違いない。だが、これはあくまでも「一面の」にすぎない。 
 
 隨著觀賞的人不同,觀賞時的心境不同,她們的『聲音』就會有著不同的色彩,有著不同的『話語』-這種說法很平凡,但肯定也是真相的其中一面。然而也就只是其中的一面。
 
 彼女らと対峙していて、最後に決まって聞こえてくるのは、「何故わたしはこうしてここに在るのか」という切実な問い返しだ。いつだって僕はそれに答えられず、茫然とそして陶然とまた、自分自身の「ここ」に立ち尽くすしかないのである。
 
 和她們對峙時,最後聽到的必然是「為何我會以這種型態存在於此?」這樣深刻的質問。不管何時我都無法回答這個問題,只能茫然若失,卻又陶然自得的,呆立在自身的「此時此地」之中。
 
 
  
本篇文章出自2007年12月24日再版的『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』